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- 音作りというデタラメ(要注意・鬼門)-


■音作りというデタラメ(要注意・鬼門)

これは、一筋縄ではいかない問題です。「音作り」の問題は、単純ではありません。

オーディオでは、「音作り」と、良く言います。オーディオ歴の長いかたは、今まで何度この言葉を聞かされてきたか、数え切れないほどの回数、「音作り」「音作り」と、しつこく、執拗に、これでもかと能書きを並べたてて、聞かされてきていると思います。ケーブルしかり、プリアンプしかり、スピーカーしかり、CDプレーヤーですら、しかりでしょう。

昔は「音作り」を、していたのかもしれません。アナログの昔の名カートリッジなどは、フラットに近づける為の努力、原音再生のための努力を、徹底的に時間をかけて、していた形跡があります。

 

■音作りについての、問題を、提起します。

現在、本当に彼等は「音作り」と言っている通り、音作りなど、しているのでしょうか?

私の場合は、「彼等がそんなことまで、しているはずなどないに決まっているでしょう。」と、いかなる時も、誰に対しても、いかなる場所でも、公言しています。

しかしこれは、誰もがご自分で考えられるべきことでしょう。いづれのスタンスを取られてもいいと思います。

ただ、オーディオの音作りを認めてしまうところからは、実に危険な領域に、入り込んでしまうのです。

500万円のアンプ、苦労して、開発チームが五年がかりで音を作っていたのだったら、その価格も、ありになってしまいます。しかし、それほどの努力の跡が見られる高額なアンプというのは、私はただの一つも知りません。

非常な努力が見受けられるアンプは、音作りをした(と、メーカーが言っている)アンプなどではなく、徹底的に原音再生を追求したアンプです。これが一番、膨大な時間がかかりそうです。

 

■「楽器類の良い音」とは何か?、音作りというのは、難解なテーマです。

良い音についての、少しの考察を試みます。ここで書くのは、私なりの見解です。生音以外の、又は生音を少しずらした「良い音」というのは、非常に難しいテーマになってしまいます。生音は簡単です。良い楽器であれば、良い音であることは、分かりきっています。スタインウェイのピアノの生音は、良いに決まっています。

問題は、それを、音作りによって、それ以上に良い音にできるのか、というところにあります。

人間の耳に、生音以上に良く聞こえる音、「音作り」、その正体、それを一度でも「発見」したメーカーがあったとします。おそらくそれには、理論があり、周波数帯域のこの部分だけは、こうしておくとか、位相特性のこの部分だけは、周波数帯域によって、また、入力された音の周波数に応じて、過渡的にコントロールするなど、それはそれは、想像を絶するほどに、非常に厳しく、複雑な理論によって、音を徹底管理して、音作りをしなければならない方法になることが想像できます。

すると、その音作りを実現するための回路を組み込んだ機材を製作するはずです。

ここで、すでに、お気づきでしょうか。上記のごとし離れ技を実現するには、それ以前に、徹底的に原音再生をできるだけの「実力」、「能力」が必要であるという、厳粛なる事実です。

そして、さらに書くならば、そのような発見が、万が一存在していれば、それは実に偉大なものであり、永遠の学術論文になるはずです。

あらゆる学問は、大自然の摂理について解析してきただけであり、そこから学んでいるだけです。それを越えることなど、今も、たったの一つも、人類にはできていないのですから、「生音を越える理論」、これぞ大自然の摂理を越えることであり、人知の偉大さを証明することであるがゆえ、それこそノーベル賞ものです。

しかし、それはとりあえず、脇に置いておいて・・・、

その「音作り」の発見をしたとしたら、それはとても大事であって、「宝物」です。当然、企業秘密になります。しかし、実際には、次のモデルのアンプでは、すぐに音が変わってしまうのです。せっかく発見した「良い音」とは、一体全体、貴重ではなかったのでしょうか。

彼等は数年がかりで発見したはずの音作り(良い音)を、捨ててしまったのでしょうか。それとも、膨大な時間をかけて、もっと良い音を模索して、音作りをしたのでしょうか。それとも、時代のはやりの音に、単に、合わせているだけなのでしょうか。それとも、はじめから、あてずっぽうに製造しているだけで、何もしていないのでしょうか。

実にコロコロと、猫の目のように、音が変わります。民生用のオーディオメーカー全て、例外なくそうです。

プロ用機材は全くその逆です。クラウンの30年前のアンプも今のアンプも、全く同じ音です。単に入力された信号を徹底的に忠実に拡大しているのみです。いや、WEの80年前のアンプの音すら、クラウンの今の音と、ほぼ同じなのですから、こちらのほうは、冒頭に書きました往年の名カートリッジと同様の、徹底的に原音に忠実な音作りというだけのことですので、事情を理解されるに、とてもシンプルで簡単なことです。

 

「音作り」・・、良く考えれば、徐々に分かってきます。馬鹿馬鹿しい限りの、「鬼門」です。

スタインウェイのピアノの音は、音作りなどしているより、そのままの生音が、おそらく一番いいのです。

 

■オーディオメーカー内部の実態を書きます。

これは国内の一流メーカーに、30年ほど前に勤めておられた、オーディオ業界では、今や、少々有名なかたから直接聞いていることですから、疑いのない事実だと思います。

「彼等には、音作りなどしている暇は、一日たりとも、ありません。」

30年前からしてそうです。それが実態なのでしょう。

ということは、「音作り」という、レコーディング用語を持ってきて、格好をつけているだけなのでしょうか。

 

■音作りに関しての、混乱を避けます。

レコーディングでは、音作りが、されています。生録ではなく、シンセサイザーなどですと、それがあります。ドラムの音、ギターの音、ベースの音についても、個々に、それがあります。ギターアンプとてそうですし、ベースアンプとてそうです。それらは、個々の楽器、あくまでも個々の楽器です。

生録とスタジオ録音とでは少し違っていて、全体の音のバランスで音作りがなされることも、スタジオ録音では、あります。

ですので、先述したように、オーディオでも音作りをしているはずだ、というより、音作りは可能だ、というスタンスを取られているかたがみえても、仕方のないことであり、否定はしません。

いづれの考え方も、考え方としては、ありですが、事実は事実として、踏まえておかれたほうがいいでしょう。30年間、一生懸命考えていても、事実は事実、誰にも変えられません。

実際には、音作りなどしている暇は、企業内部には、ない、ということです。つまり、多少でもまともな音になるように製造してみて、全くダメだった場合にのみ、なんとかかんとか、あの手この手で、つじつまを合わせて補正しているのだ、という程度に考えられておかれたほうが、現実的です。

ただ、30年前と今とでは違います。今はもっとひどい状況になっていると思われます。

 

■現在の現実

100万円のアンプを、開発して、製造した。

「さぁ売った売った!、カタログだけは、プロの執筆家に依頼して、読む人が欲しくなるように、もの凄いものにしておけよ!」

現実は、おそらく、これです。

100万円のケーブルを、製作依頼した、出来上がった。

「さぁ売った売った!、カタログだけは、プロの執筆家に依頼して、読む人が欲しくなるように、もの凄いものにしておけよ!」

現実は、おそらく、これです。

 

■第二の問題提起

30年前のレコーディングスタジオ並みの、レーコンマミリ単位以下の、正確無比なモニターを、オーディオメーカーが、社内に備えている可能性はあるのでしょうか。

そのようなモニターが、往年のUREI社、又は、クラウン社やスチューダー社、それ以外のオーディオメーカーの社内に存在している可能性があるのでしょうか。それこそが、もし「音作り」をしたいのならば、真っ先に、必需品になります。それなくして音作りなど無理な相談です。計測器や数字では分からない部分は、人間の耳で作らなくてはなりません。熟練した人間の耳のほうが、機械より正確です。

しかしまずは、現代の最良のレコーディングスタジオ以上の、優れたスタジオが必要です。

万が一、それを持っているメーカーがあったとします。すると、意外な結果になってしまう可能性のほうが、むしろ大きいのです。

その結果とは、「音作り」をしている暇があったら、生録のみならず、音作りされている録音でさえ、レコーディング通りの音で再生するほうが、音楽がより良く聞こえる録音のほうが多いということが、誰にでも、簡単に、理解できるであろうという、可能性です。

 

 


これより先は、「お客様の声」とします。

 

Aさんのコメント:プロ用と民生用の違いについて

 

プロケーブルさんがお勧めする製品をいくつか使っております。

決定的な特徴は、正しい意味でニュートラル&ナチュラルだということです。

遥かに高額なアンプやケーブルが謳う“音楽性”という言葉の意味が、実は色付け、付帯音、マスキングだと、
半世紀近く膨大な金額と時間をオーディオに費やしてきた私は、初めて理解することができました。

真の音楽性とは音楽そのものの中に存在するのであって、機械の中に存在するべきものではありません。

機械じたいが、またその機械を作った人間が、おのれを自己主張しようとすることが、
我々が真の音楽性に身をゆだねる機会を、そして真善美へと至る道を、どれだけ阻害しているか。


オーディオ的な表現をするなら、音がすっと出てくるのです。へんな、思い入れたっぷりの、
溜めやコブシがないため、最初はそっけなく、物足りなくさえ感じることもあります。

しかしじきに、音の要素と要素のあいだの空間の透明感と、涼やかでいて気が満ちた広がりが理解されてきます。

それに気づいたあとでは、数十万円のケーブルでさえ、空間の混濁感と音の鈍さが気になってしかたありません。

ところが、知り合い、友人に比較視聴させますと、全員が同じ意見ではありません。
色気がない、オンマイク的すぎる、蒸留水的でおもしろくない、といった意見もあります。

たぶん、何千万円も無駄遣いをした人、数万時間も試行錯誤をした人が、その負の経験があってこそ、
せつなくも、しかし救いとして、見えてくる音の世界のような気もします。

麻婆豆腐を食べつくした人が湯豆腐の美を発見するような。

 

 

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音作り・オーディオ オーディオ用語で言うところの音作りというのは、全てデタラメです。彼等は音作りなどしていません。単に技術力が無いというだけです。

 

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